活性石と人

塩野崎氏は「活性石」を研究し様々な実験を試みていた当時、人に使用する考えなど毛頭なかったと言っています。植物や牛や魚と人間は違う、あくまで「活性石」の研究は酪農や果樹栽培等の動植物の治癒のためと考えていたそうです。

しかし、止むに止まれず「活性石」を人に試す出来事が起こります。その人とは塩野崎氏の実母(当時76歳)であり、きっかけは彼女の子宮ガンでした。

  担当医は「ガン細胞は卵巣から骨盤にまで広がっている。高齢で衰弱もひどく、手術に耐えられる身体ではない。よくもって二ヶ月程でしょう、後はご家庭でお母さんに好きなことをさせて過ごさせて上げてください」

  という末期 ガンの宣告を受けたのです。

 

家族は絶望の底に突き落とされたような気持だったが、 この時ふっと、「活性石」のことが塩野崎氏の頭をよぎった。

ガンの最新治療設備を備えた病院から見放された母。牛の乳房炎と人のガンは違うが、ひょっとしたら体液の浄化で病気は好転するかもしれない。とにかく、可能性のあることは何でもやってみよう、という切羽詰まった思いが塩野崎氏を突き上げた。

  ところが、塩野崎氏が「活性石」粉末を水に溶かして母親の口まで持っていっても、すでに口を開く力さえ母親には残っていない。そこで脱脂綿に水溶液を浸してそれを口の中に入れ、わずかずつ喉に流し込むという方法で何とか「活性石」が母親の体に入ることになった。こうした看病を毎日続け、そして 一週間くらいすると母親に生気が戻り、脱脂綿は必要が無くなり、コップについだ水溶液を自分で飲み干すようになった。

そして、ベッドから立ち上がることさえできるようになった。

担当医はレントゲンに写るガン細胞が次第に小さくなっていくことにただ驚くばかりだった。

(以後、塩野崎氏の母親は十数年生きられ、九十有余年の天寿を全うされた。)

 

研究を始めて十数年以上すでに経過していたが、塩野崎氏が人に

「活性石」を投与したのはこれが最初だった。

「藁をもつかむ気持ちだった」と回想しておられたが、母親の劇的な回復のさまを見て驚愕すると同時に、「活性石」の不思議なパワーに深い感動 を覚えたそうです。

 

この奇跡的な出来事の噂が世間に広まるにはさほど時間はかからなかった。

つい先日までは、余命二ヶ月と宣告され、口さえ開く力がなかった人が元気に歩いてるのだから・・・。

 

塩野崎氏のもとには同じような病気で悩む人からの問い合わせや「活性石」を分けてほしいという人が殺到します。そして、「活性石」を服用した人々から 病気回復の喜び、感謝の報告が相次ぎます。

 

噂は噂を呼び北は北海道、南は九州、沖縄から塩野崎氏の自宅まで様々な病気で悩む人々が頻繁に相談に訪れるようになります。

このような生活の激変はもはやこれまでの家業と「活性石」研究生活の両立は必然的に困難な状態に陥り、彼は意を決して家業を廃業、「ミドリ物産有限会社」を設立、以後「活性石」の開発研究一筋に打ち込みます。

 

 

この当時のことを塩野崎氏は次のように回想している。

 

「母親の奇跡的な回復を目撃したとき、深い感動を覚えた。その後、多くの人から病気回復の報告を頂いたとき、何か使命感みたいなものを・・・この「活性石」をもっと広めよう・・そう強く感じ、家業を廃業にすることには何にも躊躇はなかった」と